「客観的な目」「当事者の目」 写真が伝える“あの時”と復興  震災12年へ埼玉県の男性が写真展 岩手・大槌町(IBC岩手放送)

 岩手県大槌町で東日本大震災からの復興の軌跡を伝える写真展が開かれます。撮影したのは大槌町を11年間見つめ続けた埼玉県在住の写真家の男性です。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/307820?display=1

 カメラのシャッターを切るのは埼玉県在住の野田雅也さん。報道写真家としてこれまで世界40か国以上で自然環境や社会問題を取材し、撮影してきました。

野田さんは震災発生の1週間後、取材のために岩手県大槌町を訪れました。そのとき見たのは、津波に流され、民宿の屋根の上に乗った観光船「はまゆり」です。

観光船は定期検査のため、震災が発生した日に町の造船所に入ったものでした。このことを知った野田さんは造船所の撮影を始めました。

(写真家 野田雅也さん)
「船大工たちも被災者で、みんな家を流されて避難所、仮設住宅から自転車で通ったりして。タイヤに空気が入っていない自転車で。少しずつ再建を進めていく」

 この日、野田さんは町内で予定している写真展の準備のため、撮影した写真を手に造船所を訪れました。

「エンジンを入れ替える予定だったんですか?はまゆりは」
「入れ替えるというより、定期検査の方が大きかった」
「『カゼ』ってあのムラサキウニのことを示すんですか?それともウニの全体の総称なんですか?」
「総称ですがね。もうひとつはバフンウニ。総称で言っています『カゼ』って」

 造船所で働く船大工を中心に、がれきの残る町並みや漁港の再開、祭りで活気づく様子など、野田さんは11年間の出来事をカメラに収めてきました。
 今回の写真展では前半に野田さんの写真が、後半は大槌で暮らす人々が撮影した3月11日の写真が展示されます。

 写真展に参加する大槌町吉里吉里の中村公男さんです。震災の日は地区の防災組織の記録係として必死に撮影を続けました。

(中村公男さん)
「本当は写真を撮るのをやめて逃げようかなとも思ったが、撮らなければ。必死だった。写真を撮るのに。これは船を持っている人。呆然としている。たぶん船がひっくり返った後」

 中村さんは今回の写真展を様々な世代の人に見てもらい、12年前の出来事を知ってほしいと話します。

 被災者のひとり、植田医院の植田俊郎院長も当時の様子を撮影していました。地震が発生したのは診察の最中、建物の屋上に逃げました。

(植田俊郎さん)
「知り合いや近くの農協の職員(と屋上に避難した)。3階の倒れた冷蔵庫から氷を出して、氷をコッフェルに入れてお湯にしてカップ麺を食べた」

 写真展を企画した野田さんは残された記録から感じてもらいたいことがあると話します。

(写真家 野田雅也さん)
「どうしても大きな復興事業が復興のように見えるが、実は一人ひとりの小さな手によって作られたものだと思う。漁師の人も民宿の人も一ひとりの小さな愛情を込めた手作りでこの町ができた。それを少しずつ知ってほしい。埼玉県在住の私が客観的な目で撮影した町と、町に暮らした人たちが撮影した町を、両方から見ることによって、ふくらみのある町が見えてくるのでは」

関連記事一覧

PAGE TOP