2005年のスマトラ島沿岸部、私はカメラを首にかけ、ホンダの小型バイクで瓦礫を避けながら走り続けていました。折れた椰子の木とモスクのミナレット(塔)だけが残る町跡。観光客で賑わう港町だったとは到底思えません。22万人の犠牲者が出たスマトラ沖地震と津波被害、インドネシアのアチェ州で、私は想像の域を遥かに超えた自然の脅威を目の当たりにしました。
被災したバンダアチェ市で撮影した写真が「民家の上に乗った漁船」が今日の1枚です。
東日本大震災後、初めて赤浜を訪れて「はまゆり」を撮影した時は、二つの画像のレイヤーがぴったりと重なり(船の向きが逆ですが)、複雑な心境でした。
観光船「はまゆり」は震災2ヶ月後に降ろされて解体され、民宿の建物は残されていましたが、震災遺構として「保存か」「解体化」で意見が分かれていましたが、21年1月に解体されました。大槌町では残されていた旧・町役場も解体されたため、震災遺構としての建造物は消えてしまいました。
バンダアチェの「民家の上に乗った漁船」は、今も震災遺構として保存されています。毎日、多くの観光客が「インスタ映えを狙って訪れているようです。被災者の心情を思うと「映え」でいいの?と思いますが、それでも訪れた人は船を見上げ、津波の怖さを目で見て肌で感じることができるようです(SNSの感想コメントより)。